アメリカでの学び

ご近所アプリで知り合った「サポートが必要な人」に会いに行ってきた

ご近所アプリを見ていたら「サポートできる人」が、どこに住んでいるのか地図でチェックできる機能があった。「買い物、決まった時間に電話、薬局に行く、郵便物を渡す、子供を預かる、犬の散歩」など、具体的に何ができるか書いてある。その登録者数が感動するほど多い。これなら私にも出来ることがありそう。さっそく私もサポートできる人として登録した。

本当はこのまま連絡が来るのを待つんだろうけれど、「サポートが必要な人」のスレッドを見つけたので近所にいないか探してみた。すると「大きな植木鉢をベランダから家の中に入れて、道にはみ出た石を庭に戻して、倒れた木を端に寄せたいです」などが書かれていた。お年寄りの方で、運ぶ作業のサポートが必要らしい。連絡をして手伝いに行ってきた。

手伝いは10分ほどで終わったが、とても感謝された。木は暖炉用にもらえてありがたかった。「近くに住んでいるのでいつでも連絡下さい。もっと力持ちの夫もいるので!」と言うと、「ありがとう」と嬉しそうにお礼を言われた。お金を払って業者やサービスを頼むまでではないけれど、自分一人では解決できないちょっとした困り事はある。そんな時、人との必要な繋がりを可能にしてくれるアプリは素晴らしい。

このお年寄りは孤独に暮らしているわけではなく、同じ街に住む娘さん家族が時々来てくれるそう。でも近所に知り合いが少ないのが不安とのこと。仲良かったご近所さんは引っ越したり亡くなり、その家に新しい人達が引っ越してきても、その人達との交流は今ひとつできていないんだそう。まさにこの地域に新しく引っ越してきた私は、もっとご近所さんと知り合う機会を望んでいたので、私にとっても願っていた出会いとなった。「実は私も近所で知り合いが少ないんです」と打ち明けると、娘さん家族に私達家族を紹介したいから、次は皆で一緒に食事をしよう!と約束してくれた。

その約束はさっそく昨日叶えられた。アメリカはThanksgiving (感謝祭) だったので、私達家族を招待してくれた。賑やかで楽しい時間を過ごせて嬉しかった。

私は何か困り事があった時、社会にサポートが整っている理想はあるが、まず自分でコミュニティの輪を広げていく必要性の方が大事だと思っている。自分に助けが必要な時に頼れる人を増やしたいし、何かあった時に私達家族を気にかけてくれる人達が近くにいてほしい。だから自分の一番近くにいる人から大切にして、同じように考えている人との繋がりを広げていきたい。

先日、日本の友達と話していて気づかされたことがある。いずれ自分も老いていき、出来ないことが1つ2つと出てくること。年齢を待たずに病気や事故で体が不自由になり、その日は突然訪れるかもしれない。なのに人は、小さな子どもやお年寄りが出来ないことには自然に寛大になるけれど、それなりに大きくなった子どもや大人が出来ないことに関しては厳し目になる。その人が実は困っていたり苦手なことでも、苦手だからこそ集中的に続けさせて出来るように頑張らせたり、出来ることが当たり前だと思う人が出来ない人に偏見の眼差しを向けることもある。

相手の見た目で判断して、人を受け入れる心が大きくなったり小さくなったりすることがあったら悲しい。普段から人々と助け合いをすることが自然であれば、自分にサポートが必要になった時、出来ない自分を受け入れていく心の土台はできていると思う。そして自然に手を差し伸べてくれる人々の優しさに、迷惑をかけた申し訳なさからくる心苦しい表情ではなく、「ありがとう」という感謝の言葉が笑顔と共に一言、自然に出てくるのだと思う。


文中に出てきた日本の友達「身近な障害と子育て」の記事が、こちらで読めます。時間をかけて書いてくれました。

“息子の自閉スペクトラム症 (ASD) という特性も、私の身体障害という不便さも、周囲の理解や手助けを要す場面が多くありますが、向き合う事も助けてもらう事も自然にできる準備があったのは、私たち家族の強みの一つだと感じました”

たくさんの方に読んで頂けたら嬉しいです。