2014年、日本でSTAP細胞問題が騒がれている年のある夜、私はニューヨークで研究者達とレストランにいた。通っていたヨガスタジオで仲良くなった日本人が研究者で、その友達が外国人研究者の仲間を連れてきた食事会だった。
話題はSTAP細胞になった。
私は当時、日本のニュースを深く追っていなかったので、日本の若い研究者が不正行為をしたことかな?とだけ、ぼんやり思い出していた。情報不足なのでそれ以上は特に思うこともなかった。
だから研究者達が口々に「なにかを隠そうとしてる」と疑う様子で話し始めた時、私は細胞の有無のことだと思ったので「やっぱりSTAP細胞って存在しないの?」とかるく聞いた。
すると「そっちじゃない。あの先生のつじつまが合わない言い訳と、守りと逃げに入ってる組織と、クレイジーな日本のマスコミ!」と強く遮られた。
同じ研究者だから気付ける違和感、海外からだから見える日本社会の歪み、があると感じた。私は専門的な話についていけず、どこか他人事のように聞いていただけだった。
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2016年、小保方さんの手記「あの日」が出版されたらしい。それを日本人研究者の友達が教えてくれた。
「小保方さんは日本に戻らず、アメリカの研究室に残るべきだった。日本は研究に変な上下関係の圧力がかかるから新しい人材が育たない」と悔やんでいた。私は日本で体育会系の上下関係でやり場のない思いをしてきたので、科学の世界にも上下関係があるのかと驚いた。
友達は私にも読むようすすめてくれたが、私は英語に慣れるために日本語の本を読まないようにしていたので、翻訳本が出てたらいつか…程度に思っていた。そもそもSTAP細胞問題について興味がなかった。
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2022年、とあるメディアに、小保方さんの現在の様子が盗撮写真と共に載っていた。自分や身近な大切な人がこんな侮辱を受けたらと思うと、心が締め付けられた。
会ったこともない想像でしか知らない人に敵意や嫌悪の情を持ててしまい、それを更に汚して言語化することに快楽と誇りを持てる人が、この枠の仕事をもらえる条件なのだろうか。会ったこともない想像でしか知らない人を、本人の言葉から知りたいと思った。
「あの日」を購入した。

最初から「この人が犯人」と決めつける悪意ある報道や事実すり替えの印象操作により、この人なら誹謗中傷してもいいと日本中からターゲットになった人が、自殺するまで精神的に追い込まれる。そして報道やメディアが新しい話題と新しいターゲットに移ったと同時に、世から忘れ去られる。その風潮が繰り返されている社会が恐ろしい。

一部を切り取ったデマの拡散が相次いでも、口を閉ざして我慢する残酷なアドバイスまで受け続けたターゲットは、数年後に手記でしか真実を語れない。人々はお金を払ってその本を買わないと真実さえ知れない。おかしい。
報道機関やメディアは、視聴率や部数を上げるためだけの炎上ビジネスをいつまでやり続けるのか憤りを感じるが、そこで働かされている人の身体も心も実はボロボロなのではと察する。
国民に真実を届けたく力を注いできた原稿が上からの圧力により直前でボツになったり、その代わりに他人を貶めるため嘘の原稿を作らされたり、他人のプライベートを執拗に干渉させられたり、他人の人格否定を強いられたり、果てしなく苦しみに追い込まれる作業だろう。
他人を否定して認められる矛盾から解放され、自分の能力を認められ夢中になれる仕事をしたいのではないか。小保方さんのように。
私でさえ、発達障害を悪にしたいメディアと少しやり取りをしただけで、精神的にしんどくなり離れた。守りたい人がいれば理解に苦しむ要求。
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科学界でも間違いはあると思う。それを深く反省し、乗り越えてキャリアを続けたい意志があるなら、もう一度チャンスを与えられていい。私は応援したかった。
権威だけある者が地位を守るため。
伝統という名ばかりで変われない組織を守るため。
誰でもいいからストレスをぶつけたくてたまらない一部の世間を満足させるため。
報道やメディアのいじめ体質。
日本は、また、一人の有望な研究者を潰した。