皆さんの体験談

「自分を大切にする」ということ / 雨音さん編

夫のことを考えるうち、ふと予感のように思ったことがある。

夫がASDかどうかは、最終的に関係無くなるんじゃないか?って。

⠀♢ ♦︎ ♢

私が夫のASDを疑い始めたのは、長男の不登校から約1年ほど後。

(なぜ夫は自分の不安を潰すことばかりに執心して、長男の気持ちを無視してることに気づけないんだろう?)

この不思議な違和感は、今まで夫と過ごしてきた過去を振り返ると、つねにつきまとっていた。

(どうして私はこの違和感から目を背けて来たんだろう?)

つらい子供時代を経験している夫には認識の偏りがあるんじゃないか?
威圧的な態度や暴言はDVではないか?
本やwebで調べ、たどり着いたのが、アスペルガー症候群だった。

もともと、威圧的な夫の顔色を窺い服従するような、こんな夫婦関係はおかしいと思ってはいた。
しかし同時に私の中に
「妻とは夫の3歩後ろを歩くような…」
そういうものだという固定観念もあった。

当時存命だった母に話しても
「雨音は気が強いから夫を立てられないんだろう」
と…。

理解ってなに?共感てなに?ずっと一人ぼっちで真っ暗な沼に沈んでいくような気持ちだった。

楽しいことなんて、何もなかった。
子供が笑っても、笑えなかった。
趣味の絵もいつの間にか描かなくなっていた。
気づけば、欲しいと思う物すら無い自分に驚いた。
欲しい物がないなんて無敵か!

自分の陥ってる状態が、カサンドラ症候群と呼ばれていることを知った。

こんな状態が、子供に良いわけがない。

⠀♢ ♦︎ ♢

この息が詰まるような家族関係から脱出する最短ルートを考えた。

#1.てっとり早く離婚。もう会わない。夫を遠ざけることでカサンドラを回避する

てっとり早くとは言うものの、そう簡単にカタがつくとは思えない。

#2.夫にASDの診断を受けてもらい、確定されたとしてさらに特性を改善させる

望ましくはあるけど、プライド高く口も達者な夫相手にどう考えても難関。

#3.私自身が過去を振り返り、向き合って受け入れる

不思議なことに、この方法に夫がASDかどうかは関係ない。自分だけでもできる。

私は迷わず#3を選んだ。そして、カウンセラーさんを頼ってみることにした。

方向が決まれば進むだけ。なりふり構ってなんかいられない。
一番早く打てる手は何?

まず家庭内の事を話していた、長男の学校のスクールカウンセラーさんを頼ってみることにした。

私はいつも時間いっぱい詰め込むように、自分を取り巻く状況すべてを話した。本当に隠すことなく何もかも。

話の中から、カウンセラーさんが我が家に潜む機能不全な部分を見つけるのだと思っていた。
でもカウンセラーさんはほとんど相づちを打つだけ。

だけどカウンセリングの回数を重ねるうち、話した自分の言葉・読んだ本・webで知ったことを混ぜて、私は様々なことに気づき始めた。

夫の言動を恐れ、気にして行動してるのは、自分自身だということに。

自分はどんなふうに育って、過去の経験からどんな傷を心に抱えているのか。
その傷は、外部からの言動を受けた時、自分のとる言動に、どんな影響を与えているのか。
または、起こった現象に対して、自分がどういう「傾向」の意味づけをしてるのかを知る。

自分の過去を振り返る必要があるのは、このためなんだろう。

親に構われない子供。いじめ。

いつの間にか私は、相手の要求を受け入れる事で、自分の価値を見出していた。ひどい時はみずからその要求のハードルを上げて。

嫌なこと、苦手でうまく出来ない事でも、要求する相手を好きであればあるほど、私はNOといえなかった。

嫌われるのが怖くて。
あなたに喜んでほしくて…

「私なんかを必要としてくれる。私なんかと一緒に居てくれる」

歪んでいたのは、私が自分を自分で貶める考え方だった。

⠀♢ ♦︎ ♢

ありのままの自分を、自分が肯定出来ず、無理をしてた。
出来ない自分じゃ嫌われると、一生懸命相手の顔色を伺っていた。

出来ないからといって、嫌うかどうかは相手次第なのに。
相手がどう思うかなんて、自分ではどうにも出来ない事なのに。

夫が怒るのが嫌で、私はそれを回避するために、たとえ自分の意志に反した事でも言いなりになってきた。

これを

「夫が怒るから言うとおりにする」

と考えると、自分の行動は夫由来のように聞こえる。

たとえ夫が怒るかもしれなくても、自分には自分の意志を通すことが出来たはず。
もしかしたら夫は怒らない可能性だってあった。

相手のせいで、相手のために、とか言いながら、本当は自分が勝手に想定した事に対して選んだ言動である事から目を逸らす…

そんなことしてたら、いつまで経っても本当の自分には気づけない。

私は自分が被害者になることで、自分で夫から3歩下がることで、自分を弱者の立場に無意識に置いていたのかもしれない。

どれだけ相手の顔色を伺って行動しようと、無意味なことだったんだと思うようになった。
相手がどう思うかなんて、自分にはどうすることもできない。

自分が勝手に想定した通りに事は起こるの?
わかりもしないことのために無理をして相手の要求をのむの?

勝手な想像で、自分で自分を追い込んで、自分を偽って、勝手に苦しんで!

馬鹿か私!

⠀♢ ♦︎ ♢

考えろ自分!そこに想定されるどんな困難があるかなんて捨てていい。

「自分はどうしたいのか」

これが言動の軸を自分に置くってことじゃないだろうか?

相手がありのままの自分を受け入れるかどうかは判らない。
でもまず自分が、出来なくても、下手でも、ありのままの自分を受け入れる。

外へ向けては、どこかに「嫌われる勇気」をもって、自分を偽らず接する。

そしてあえて相手の要求をのむとき、それは「自分も」したかったから・納得・妥協出来たから〜という自覚を持つこと。

それが
「対等な付き合い」
というものじゃないだろうか?

夫婦とは対等であるのが大前提なら、自分の意見を主張して何の不都合があるだろう?

最近の雨音は変わったと夫は言う。

話が噛み合わなくなったと。でも長女には、明るく表情や感情もわかりやすくなったと言われた。

自分で作った自分の檻に気づき、自分の力で脱出したと思ってる。

多分もう私はカサンドラじゃ無いと思う。

私が辿ってきたこの過程を、私は夫にも知ってほしいと思った。

自分が読んだ本も渡した。
1回だけという約束でカウンセラーさんと話してもらった。
何度も何度もかみ合わない話をした。

そんなことが半年以上続く中、私にも改善点があると気づかされたこともある。

フォロワーさんの言葉に我に返った。

「旦那さんの変わるスピードは雨音さんよりゆっくりかもしれない」

押し付けられると、理解より抵抗感を感じるもの。
私が自分で気づいたように、夫がこの過程を辿るためには自分で気づくことが必要不可欠なんじゃないか?って。

そう考え直してから、自分の考えは揺るがないという態度は変えないものの、必要以上にそのことについて話すことは控えた。

一進一退を繰り返すような関係が1年近くになる。

その間、夫は転職。有給消化中ずっと家にいることに懸念はあった。

そのころには次女も不登校になっていた。

案の定、夫は学校へ行かない子供に怒り、時に怒鳴り、庇う私とぶつかった。

「なぜこの家では当たり前のことが出来ないんだ!」

その言葉、想定の範囲内。

⠀♢ ♦︎ ♢

そうしてついに、ある日夫は言った。

「本当のことを言っていい?」
「なに?」
「もう俺はどうしていいかわからない」
「……」

ぬか喜びはしない主義。

何度も夫の「解ったような言葉」に翻弄されて来た私は用心深い。
でもこの言葉に内心ガッツポーズだった。

今までの経験からすると、夫は究極に凹んだ時にだけ、ほんの数ミリ心の扉を開ける。

おそらく子供の不登校に効果があるだろうと自分の実行したことが、どれ一つ結実しないことに、納得できなかったんだと思う。

ここからが私のターンだ。

私は自分の不登校に対する考えを、ひいてはそれがおこる原因となったかもしれない夫の圧政や、自分の辿って来た過程を、持論を交えて展開した。

「あなたはアスペルガー症候群かもしれない」

と、再度伝えた。

夫が理解するかどうかは問題ではない。
なぜなら、話すことで情報としてでも、私のような考えがあることを知ることが出来るから。

隙間に打ち込む小さな楔は、いつか岩を割る亀裂を生むかもしれない。

でも、急いではいけない。夫には夫のペースがある。

この先どれぐらい生きられるかを考えて、生き急ぐのはあくまで私の事情。
それを理由に夫を急かしては、得られるかもしれない理解も気づきも、逃してしまうかもしれない。

長男の不登校から1年半。
夫に少しだけ優しい気持ちで接することが出来るようになった気がする。

そして書いていて思い出した。
私は夫が怖いばかりで言うことをきいていた訳じゃないことも思い出した。

私は彼を喜ばせたかったんだ。
すっかり忘れてた!

⠀♢ ♦︎ ♢

私の親は、恐れなければならないような人ではなかった。
ただ物心ついた頃から、私は親に親密に接してもらった記憶は無い。

私はなぜ相手の要求を聞くことを自分の存在価値の確かめ方にしたのか。

これはつまるところ、愛する対象に振り向いて、自分を見て、自分を認めてほしいという承認欲求に起源するものではないのか?

それこそが、私を見てくれなかった親に、私が一番求めていたこと。

これが私のアダルトチルドレンの正体。

自分の心ってまるで、透明なドームの中の風で舞う三角くじ。

常に何かが舞ってるけど、捕まえようと思っても、なかなか捕まえられるものでもなく、でも捕まえて、開いてみないと判らない。

結局私は
「夫がASDのせいで!」
って思ったことはほとんど無かった。

私の話を1年以上にわたり聞く中で、カウンセラーさんがふと

「(旦那さんは)おそらく…」

と漏らしたことがある。
うん、やっぱそうだよね。

だけどもういいんだ。

⠀♢ ♦︎ ♢

心の深いところに閉じ込められ、傷ついたまま泣いている子供の私を見つけてあげる。

なぜ泣いているの?
どうしてほしいの?

自分のこころの声をきく。

自分を大切にすること。
全部自分じゃないと出来ないこと。

自分一人でやること。

あらためて思う。

人は一人なんだなって。

だけどね、時に振り返り待ち、待ってと声をかけたり、辛くない?走りたい?尋ね歩幅を合わせ、手をつなぐことは出来る。

自分を大切することで、同じようにかけがえの無いそれぞれを知る。

そういうことなんじゃないかな?