皆さんの体験談

なぜ日本人ばかりがカサンドラになるのか⁉️

「さくらさんの周りでアスペルガー症候群の夫を持つ奥さんは、どのように問題に対処していますか?」と聞かれることが多々あり、返答に困ることがあった。

シリコンバレーはIT企業が集まるの地なので、アスペルガー症候群が多いと言われているエンジニアの方がたくさんいる。でも私の周りの外国人夫婦に、夫がアスペルガー症候群で悩んでいる人がいない。

カサンドラ症候群の名を知っている人がいない。

我慢してまで夫婦関係を続けない

私の周囲の友達は、夫婦関係で色々あるけれど、夫がアスペルガーだから何かに深刻に悩んでいる、というようなことはないそうだ。私達夫婦のように、この世の終わりのような争いはしていない。私のように、死にそうになるくらいの苦しみに陥っていない。

夫やお子さんの良い面ならたくさん聞いたことがある↓

褒めるアメリカ人、けなす日本人 ...

アメリカ文化を知って思うのだが、夫婦は問題が小さいうちに話し合い解決する習慣を作るか、二人で解決できない場合はカウンセリングを頼るか、うまくいかないまま我慢して結婚生活を続けていない。

カサンドラ症候群とは?

アメリカで「カサンドラ症候群」という言葉は知られていない。
発達障害と繋げることもされていない。
カサンドラという名前が広まっているのは世界でも日本のみ。

しかも大昔のギリシャ神話を軸として、現代の心理学や個々の生育歴が抜けている日本版に変えられたカサンドラの概念だと、幼少期に親との愛着がうまく形成されなかった人に深く大きく響き続けてしまう。

自分の気持ちを分かってほしい、自分が言わなくても察してほしい、自分が望む反応をしてほしい、など。それらが満たされないと大きな悲しみや孤独を感じたり、不満を抱えたり、ヒステリーを起こしてしまう。

日本は人それぞれの考え方や感じ方や学び方の違いまでもが「障害」となり、パートナーと出会う前から抱えているであろう心の病やトラウマの症状までもが全部ひっくるめて「カサンドラ」となっている。

個々の違いを統一する教育とメンタルヘルスへの理解が乏しい社会が合わさった結果、日本版アスペルガーとカサンドラが生み出され、いつの間にかペアで扱われるようになってしまった。

発達障害の人に一方的に非があり、パートナーは苦を背負う被害者のような内容に偏っているのも、カップルや夫婦関係に更なる破綻を招いているのではないか。

事実、パートナーのひどい言動に深く傷ついている人はいると思う。でもそこまで人の心をズタズタにし続けるひどい人だったら、発達障害の特性ではない。先天的な特性ではなく心の成長の段階で身についたこと。

そして夫婦2人、出会った時から一緒に築いてきた関係性。発達障害の特性と切り離して、「ふたり」の特性と全体を視野に入れてのケアが必要。

親目線で子供の教育を考えた時の違和感

私自身、カサンドラ症候群について日本語で書かれている書籍やメディアに混乱させられた過去を持つ。学べば学ぶほど、信じれば信じるほど、心の健康と夫婦関係が悪化していった。

夫婦2人のことなのに、パートナーの現在の特性のみ、事細かく焦点が当てられているのはおかしいと疑問を持ち始めた。なぜその言動までもが「障害」になってしまうのか、なぜ他人との違いを不満や苦しみばかりで表現するのか、共感できない例がたくさんあった。

特に疑問を抱いたのが、親目線で子供の教育を考えた時。社会が発達障害の大人を批判する方向なら、発達障害の子供はどうなるのか。自分の子供が発達障害だったら、生まれつきの特性を否定し続ける躾をするはずがないし、クラスに発達障害の子がいたら、自分の子供にその子を嫌な目で見させてしまう知識を教えるはずがない。父親の発達障害についても、母親として子供に父親のことを悪く吹き込みたくない。あたたかな夫婦関係を築き直し、その姿を子供に見せていきたい。

しかし後に、日本の療育は発達障害の子を発達障害ではない子に近づけるのが目的の現場が中心であることを知った。子供の苦手なことに集中して克服させようとしたり、こう質問が来たらこう答えるなどの決まった言い回し(正解)を暗記させたり、そのような療育を受けさせて後悔している親御さん達がたくさんいた。

それは療育だけでなく、日本の教育全体の課題。自分の意見や思いを大切にして、周囲の大人からも大切にされる。好きなことを自分で見つけて、自分でそれを学びたい意欲を持たせる。自分のことを理解して、自分で決めていくことで、自分で生きる力をつけさせる。自分で選んだ道を正解にしていく。周囲の大人は何が出来るかを考えると、環境を与えてあげること。

日本の「こうあるべき」や「ふつう」のあり方に疑問

アメリカでは発達障害は障害とは呼ばれていなくて「学び方が違う子」と認識されている。学び方やペースが違う。考え方や感じ方が違う。それって障害ではなく人それぞれの違い。困っていて助けが必要な部分の障害とは別。日本はこれらを全部ひっくるめて障害にしていると感じることがある。

発達障害が鏡になってうつし出す学校や社会の問題点がたくさんある。「こうあるべき」や「ふつう」のあり方。それらは本人の障害ではなくて、学校や社会が持つ障害。本人の問題ではない。

常識やルールあふれる日本社会、察し合おうとする日本文化、男女格差の問題、育った家庭環境で育まれた心、教育で養った思考や行動パターン、それらもあらゆる人間関係に影響を及ぼしている。それらがすっぽり抜けているメディアや書籍で自己診断をすると、いとも簡単にアスペルガーっぽい特性やカサンドラっぽい状態に当てはまる。

発達障害やメンタルヘルスについて正しく学び始めたのは、英語のものにシフトしてから。そしてカウンセリンング。自分の心に取り込む内容を選ぶことは、自分を大切にすること。

自分の生育歴を無視して現在の自分は知れない。
自分を理解しないと相手のことも理解できない。

日本の教育と心理分野が改善されていきますように。

自分自身に目を向けてあげる

日本では、SNSや友達に愚痴や不満を吐き出すことで日々をやり過ごそうとする行為が肯定されてしまう。不満が積み重なるようであれば、自分のあり方や考え方の癖を改善するか、環境を変えるため自ら行動することが解決策になる。しかし問題解決に目を向けて自分に問いかけたりパートナーと話し合うより、他人へ向けて会話をし共感を得て心を紛らわせる。日々の会話を諦め「世間体、子供、家計」のために我慢して夫婦関係を保つ。

最初は本当に些細な不満だったものでも、そのやり方を何年も積み重ねることで、夫婦関係のこじれと共にすでに改善不可能な大きさになっているのではないか。夫婦関係は親子関係にも繋がっている。

根本的な原因をたどると、子供は両親の夫婦関係を見てパートナーシップを学んでいくため、家庭環境で学ぶ機会がなかった場合が多い。

「辛いのに、傷つけられているのに、大切にされていないのに、なぜか相手から離れられない理由」も、心のどこかに精神的な原因がある。我慢してやり過ごすという行為は、自分という一番大切な存在まで見えなくする。夫婦関係や心の問題を軽視せず、専門家を頼り、自分自身に目を向けてあげられることが第一ステップ。

夫婦関係に「みんな」も「同じ」もない

SNSを始めた当初「夫婦関係を改善したく前向きに頑張っているアカウントにやっと出会えた!泣」というメールが殺到して驚いた。ネットに溢れる誹謗中傷を見て「発達障害のパートナーと幸せになりたい気持ちを持っている人はいない」と思っていた人が多く、日本とアメリカの発達障害についての捉え方やネット事情にカルチャーショックを受けた。

日本のネットでは、自分の思い通りに物事が進まなかった時や不満があった時に書く人が勢力を拡大しているからだと思う。だから自然とネガティブな事例しかない印象を受けて、信じてしまったのだろう。

それと同時に私が疑問に感じたのは、夫婦関係の解決策をSNSで探す行為。「どうすればいいですか?」という質問をたくさん受け取ってきた。解決策を探しているようで「自分が欲しい答え」を望んでいる様子も感じた。

ネットで「みんな」はどうしているかを調べたり、どうすべきかの答えを「同じ」人から教えてもらおうとする思考は、自分の向き合う面だと思う。生き方や人付き合いに共通の答えはないから。

自分で考えて答えを模索しながら進む力が弱いと、結論だけを急いで見つけようとして、他人の出した答えを自分に当てはめようとしてしまう。人生の答えを他人任せにすると、思い通りに行かなかった時までも他人のせいにしてしまう。他人との比較から劣等感を抱いてしまう心持ちだと、同じやり方で他人がうまくいって自分がうまくいかないのは、自分の方が辛い状況だからだと思い込んでしまう。

自分と他人は違う人間であり、夫婦関係に「みんな」も「同じ」もない。

みんなと一緒だと安心するように育つ

しかし日本の教育では、自分の考えや感情が必要なくなっていき、自分のための重要な判断や決断までもが、他人の大人により決められることがある。

みんなと一緒だと安心するように育つので、違いを恐れ、他人から共感をされなければ不安を感じてしまう人もいる。みんながどうしているか、周りの状況を見て自らの行動を合わせていくのは、日本人に多い特徴。

自分が自分の気持ちをわかってあげることができれば、誰かにわかってもらわずとも、自分の道を進んでいけるようになる。

必要なのは、自分自身や自分達だけの夫婦関係を見ること。普段から人と比べてしまったり、他人からの影響を受けやすかったり、みんな一緒の状況に安心して足止めしてしまうなら、ネットでの情報はマイナスになる。

ネットでよい繋がりができるのは事実。それはどの国にいても、自分次第。自分はどんな人と関わりたいのか、自分の周りにはどんな人が集まってくるのか。

DMが殺到! ネットは情報量が多すぎて、心も知識も左右されやすいので、何でも...

男性が優位に立つ日本文化

カウンセリングで人種の話になったことがある。

アメリカと言っても人種が様々。宗教の関係で男性が優位に立つ文化を受け継いでいる人もいる。夫婦関係は、夫側の母親の意見に必ず従う国もある。その場合、発達障害への理解も協力的ではないことがあるそうだ。なぜなら自分達のやり方が当たり前の社会だから。祖母に一緒にカウンセリングに来てもらっても「代々受け継がれてきた家訓だから」と理解を拒むこともあるという。

日本含むアジア系も、男性が優位に立つ文化の国が目立つ。男性に頼ったりつくしたり、結婚する時も男性側が女性を養い幸せにするという形が今もある。女は一歩下がって男を立てる価値観もある。それを守っている女性だと自分の軸で立てない。だから女性の幸せが男性任せになってしまう。

夫婦の形を夫婦で話し合ったのではなく、世間一般の形に沿ってなんとなくそういう流れになったのなら、夫婦関係に亀裂が入った時に女性側が経済的に不利になることがある。

「旦那が、妻には家のことをして欲しいと言ったから私は専業主婦になったのに。今更自立なんて大変…」でもそれは、旦那の期待や要望に応える選択を自分自身がした、という自分の選択になる。

家庭内での夫婦の立場や役割を話し合い、一つ一つ納得した上で築いていくことが好ましい。

日本の教育と心の健康

私とアメリカ人の夫は、夫婦関係の改善を行う上で育った家庭環境を振り返る過程は欠かせなかった。しかし私だけカウンセラーに「日本の教育を受けた日本人」に焦点を当てられたことがあった。夫は育った家庭環境、私は日本人という国民性を知る必要があった。

日本の教育では、自分の考えや感情が必要なくなっていき、自分のための重要な判断や決断までもが、他人により決められることがある。みんなと一緒だと安心するように育つので、まず周囲がどうしているかが気になってしまう。学校や社会の理想像があり、他人からの評価で自分の価値が決まる。

教育はその後の生き方に影響するもの。子供はどんな色でも染まってしまう。当たり前だと思っていた自分の受けた教育と、現在の自分の考え方の癖には共通点がある。

教育はその後の生き方に影響する アメリカで、家庭環境に問題がある子供達に関わったことがある。学校、カウンセラー、周囲の機関で把握してサポートする。でもその家庭の問題と...

何年も旦那に従う選択をしていたのは「自分」だった

パートナーが発達障害の方々と話して共通していたことは「何年も辛い思いをしてきて旦那に心をボロボロにされた」と、”最初は”思っていたこと。 でも、心の病を克服して気づいた視点も共通してた。「何年も旦那に従う選択をしていたのは自分だった。自己犠牲が辛さを生んでいた」

「何年も何年も辛い状況を我慢する」はカサンドラ症候群ではない。

結婚前から抱えているであろう、自分自身の気質。

自分の心を動かすのは「自分」

他人への依存心が強い人ほど「他人が自分を救ってくれる」という思考回路であり、他人からの同情や共感に力を注いでしまう。心のあり方は行動に繋がっているため、回復への行動が制止されてしまう。心の穴は一向に満たされない。だから、この苦しみを誰も分かってくれない!のループに陥る。

自分に自信がないと、誰かに共感され続けないと自分の気持ちを肯定できないために、他人の共感を求める続けることになる。相手の問題を自分が背負い解決しようとする人だと、ますます辛く感じ不満も増える。

いずれにせよ、自分の苦しみから抜け出せるのは「自分自身」だということが心の片隅にあると状況は少しずつ変わってくるはず。心の扱いは感情的になることがあるので、心理士と一緒にすすめるのが適切。

自分の心を動かすのは「自分」であることは変わりない。他人ではなく、自分の存在に価値をおけるようになると心はだんだんと楽になってくる。

人は気にしている心の奥底を触れられると、ものすごく反応する

夫婦関係の改善を振り返り、気付かされたことがある。「人は見て見ぬ振りをしてきた心の奥底を突然触れられると、ものすごく反応する」ということ。ものすごい勢いで否定に走る。気にしているから無視していられない。即否定するだけでなく、触れた相手も否定する。

それこそが、自分自身の生きづらさであり、自分自身の向き合う部分である。忘れたい過去、トラウマ、認めたくない自分、プライド、人により様々だろう。このような反応の客観視は、パートナーと夫婦関係の問題を話し合っている時や、自分側の改善点を見つけるために自己分析している時に役立つ。

カウンセリングが浸透してきたのはいいけれど…

アメリカはカウンセリングが浸透している文化。だから悩みがあったら心の専門家に早期サポートを受ける習慣は日本よりもある。

日本でも徐々に身近になってきていると思うが、皆さんの声を聞くと、何年も我慢してすでにメンタルが重症化してから行く人がほとんどだった。夫婦関係から影響を受けている親子関係までもが複雑な状態になっていて、家族全体の問題になっている。

カウンセラーに知識や対応の差がありすぎる問題もあるそうだ。夫が発達障害だと伝えると「離婚しかないですね」と即決めつけられたり、どちらか一方の味方になったり、どちらか一方のせいにしたり、「〇〇万円で夫婦関係が変わる!」などのパッケージも存在しているそうだ。商売目的が強いと、気に入られるために過剰に寄り添ってきたり、いつまでたってもカウンセリングから”離さない”可能性もある。

心が病んでいると、専門家っぽい人の声は信じてしまうもの。自分の意見を尊重してくれて、自分のペースで勧めてくれる、相性の良い心理士さんを見つけることはサポートになる。でもまずは、ブレない自分の気持ちを持てるようになることが大事。自分の人生、自分はどうしたいのか?

【こんなカウンセラーには要注意】発達障害の悪口を言われた!離婚をすすめられた! 多くの人が混乱しているのは、臨床心理士や公認心理師ではなく、「カウンセラー」というポジションが存在していることでした。...

パートナー選びは生育歴が関係している

1年間のカウンセリングを通して、夫がアスペルガーだったから感情が掻き乱されたり、心が満たされなかったのではないと気づかされていった。

– 私のもともとの性格
– 結婚前から抱えていた心の問題
– 日本人という普通や常識に縛られた国民性

この3つが悪い方向へ重なり合ったのと、日本の「相手がアスペルガーであればカサンドラになる」という誤った情報に惑わされ、私の心が自らカサンドラ症候群っぽい現状を生み出していた。夫にも性格上改善点があったから ‘悪化させていた’と言った方が近いだろう。

夫婦のどちらかに問題があれば、もう片方にも問題がある。合わさるペアがいるから不健康な関係が成り立つ。自分の問題を解決する前に出会い惹かれ合う相手は、悪い意味で言うと、相手にも解決していない問題がある。良い意味で言うと、衝突があるだろうから学び合い成長できる。人は自分と似た人と一緒になりパートナーシップを組むのだから。

私達は結婚前から解決していない課題がふたりの心にあった為、結婚後のパートナーシップがうまく築けなかった。問題が生じたら話し合いをして、解決を見出したり折り合いをつけていけるようなコミュニケーションが出来ていなかった。

だから夫がアスペルガーでもそうでなくても、仮に違う人と結婚していても、夫婦間の揉め事は誰とでも起こっていたと思う。私が自分の心の課題にずっと気づかない私のままなら。これは夫にも言えること。

夫がたまたまアスペルガーだったから自分の陥った状態をカサンドラと呼んだけど、アスペルガーではない違う人とうまくいっていなかったら「価値観の違い」とでも呼んだのかな。

それで済ませていたら、ここまで自分と向き合うこともしなかっただろうから、夫は自分の改善と成長の為に巡り会えた人だと思う。これは夫にも言えること。

いろんなことが見えてきて、理解できて、納得したら、もうそれらのレッテルに縛られない方がいいんだと思った。自分で無意識に作り出してきたものだから、意識して自分の力で少しずつ消していける。

これからも自分に向き合いながら、自分も相手も大切にしながら、夫婦でのんびり歩んでいきたい。