皆さんの体験談

発達障害と私達の物語 / ヘンリー&ゆみこさん編

国際結婚をしてアメリカに住んでいます、ヘンリー&ゆみこです。

日本に住んでいる妹から「自分はコレだ!お姉ちゃんもじゃない?」とさくらさんのブログを教えてもらったのがキッカケでした。私達、さくらさんやアランさんと辿った道、そっくり!!と思って衝撃を受けました。

爆発期に素直になるのはとても難しく、夫のことを知れても、やはり「変わってよ!」から抜け出すのは難しかったです。

超絶爆発期には、さくらさんがそっと置いてくださってるヒントにも気づけませんでした。自然で、ぽんっと気持ちや体験をそっと置いておいてくださる感じで、必要な方はどうぞご自由にっていうか。それを今だから気づけた感じです。

最初は夫に「見て!これ!さくらとゆみこ一緒!」と、さくらさんが傷ついた、とういうような動画をコメントも説明もなしに送りつけていた時期があります(笑)夫もアランさん側の気持ちの動画送り返してきました(笑)

さくらさんとアランさんは、お互いを否定していないのに、私は自分側のことばかり拾って夫に伝えていたと思います。

皆さんの仰る通り、まずは長く被害者意識に支配されていました。よその家庭やご夫婦の色々が知れて、本当にスッキリしたり、じーんときたり、切なくなったり、痛いところつかれたり。この2週間は、夫に変わって欲しいという気持ちは置いておいて、まずは自分を見つめ直すことをしています。

アランさんの気持ちを知ることで、夫の気持ちも分かって反省したり、忘れていた、見えなくなっていた夫の良いところを思い出して大泣きした事もあります。前向きになれます。

夫の良い面を書き出してみたり、部屋の片付け、子供達と楽しむことにも集中して過ごしています。

何度もよくなったと思っては突き落とされる感じの繰り返しでしたが、ほんっとにほんっとにおかげさまで、原因や傾向が少しわかったので、自分を責める時期も、相手のせいばかりにする時期も終わってきた気がします。

なんでこんなに寂しいんだろう

孤独でした。鬱状態だったり怒り狂う、ネガティブな自分が悪いと思っていました。助けてくれる友達も家族もいるのに、可愛い子供達もいるのに時々死にたくなるほど孤独でした。

夫に「アメリカではこうだ!」と言われると、色々言えなくなって我慢していました。夫は声は荒げないけど、否定が多いしオーラが凄いんです。

私、数ヶ月前にも家出したし死なせてと首にコード巻いたりもしました。本当に苦しかったし、傷つけられるし、傷つけてしまうし分かり合えない事も多かったけど、その中にも幸せな時間もいっぱいありました。

でも、離れる選択や死ぬ選択ではなく、このファミリーで幸せになりたい。お互い愛している、というのは見えなくなっていても、小さくなった時期があっても、消えてはいなかったんだと気づけました。

ママがパパの悪口言うの聞くのすっごい嫌い

娘にふとした時に言われました。

「ママがパパの悪口言うの聞くのすっごい嫌い。ずっと嫌だった」

この言葉…😭 本気で変わろう!変わらなければ!!と思ったキッカケです。ずっと分かってた。喧嘩を見せるのも、愚痴るのも良くないと。

同じタイミングで、さくらさんが「子どもにもカウンセリングを受けさせる必要性」を発信されてて、あーやっぱり…と思いました。

娘には3歳からの10年間、「怒り狂う母、泣いて過呼吸の母、お父さんを叩く母」を見せてしまったので、娘のことが気になっています。優しくて良い子です。だから余計に心配なんです。娘と合う先生に出会えるまで頑張って探してみます。

私も夫も機能不全家族で育った

私も夫も機能不全家族で育ったんだと知りました。夫も私も虐待など受けた訳でもなく、愛情はかけてもらっていたとは思います。しかし、自分の育った環境を振り返って、考えってこんなにも改善していく必要があったなんて、本当に驚きです。

母子家庭の長女として育った

結婚して家庭を持ったことで、「自分が思い描く幸せな家庭」と「自分の育った環境」が違いすぎてて、昔の母の言動への怒りや悲しみが溢れていた時期があります。

私は母子家庭の長女として育ちました。レストランに行ってもデザートを頼んだり飲み物を頼むのは母に申し訳なくて、家計を心配して我慢してました。「飲みたくない、いらない」と演じてまで我慢してました。友達が食事中にソーダを飲み、食後にデザートを食べてるのを横目で見てたのをすっごく覚えています。

また、自分がもらえなかった時間やスキンシップを孫である娘が貰えるだろう、貰えて当然!だと過剰に期待もしてしまっていました。

私の祖母は、母が離婚するまではいいおばあちゃんでしたが、離婚後は母と私と出かける度にずーーーっと私の父の悪口言ってました。

(私の大好きな)おばあちゃんは、
(私の大好きな)お父さんを嫌い。
おばあちゃんがお父さんを虐めてる。
と思ってました。

母は父のことは悪く言わなかったけれど、反論せずに耐えていました。母は父の悪口は愚痴も言わなかったけど、人の悪口めっちゃ言ってました。母と祖母は、母の弟のお嫁さんの愚痴を延々に言っていました。

「人って陰で悪口を言うんだな。この内容はあのおばさんには言ってはいけないんだな」と子供ながらに思ってました。

私の母も夫がいない分、下と年が離れていたパッと見お利口さんな長女の私に色々愚痴っていたんだと思います。(中身相当病んでいましたが)

なのに!私も娘に同じことをやっていたんです。もっと酷い😭

おばあちゃんよりも近い存在の、お母さんがお父さんの愚痴を言う、ということを子供にしていました。

夫は仕事ばかりだし、寄り添ってくれないし、私の期待する言葉もくれないから娘にどっぷり精神面を支えてもらい、物理的にもお手伝いを沢山してもらっていました。いい子すぎて申し訳ないです。ずっとずっと優しい娘に甘えて聞いてもらっていました。

娘は頼もしい、優しい、と頼りきっていましたが、私のスタンスと気持ちをしっかりと変えました。

夫は日系二世

夫は日系二世で、英語がほとんど喋れない父母や叔父をいつも助ける長男でした。庭仕事などで英語のお客さん相手に大きな仕事をする時には、小学生の夫が通訳とお手伝いで着いて行っていたそうです。どうせ分からないし、と相談もせずに自分で処理してきた事も多かったようです。

上からものを言ってくるアメリカ人、文句も言えず耐える父、バカ正直な日本人…色々感じて苦しく、悔しかったそうです。おかげで俺は強くなった!とポジティブですが(笑)

今でも沢山そういう移民家庭ありますよね。引越し業者さんやハウスクリーニングで親御さんに着いて来て頼もしく手伝ってくれる子供達。家族や親戚の絆が強いファミリー。素晴らしいなと思う反面、複雑な気持ちもあります。

愚痴っぽい人を自分で引き寄せていた

爆発絶頂期は、夫以外にも腹が立ったり、傷ついて、八つ当たりしていました。

もちろん、他人と喧嘩したり文句は言いませんが、標的を次々と変えて、人の悪いところ(自分と違うだけ)が気になって悶々としたりポジティブキラキラな人、ネガティブ、世間話好きな人と会うのが嫌でした。地雷を上手に踏んでくる夫も悪かったけど、自分が地雷置きまくっていたと思います。

夫と繋がれないから無意識に外との繋がりを濃く求めていて、人との境界線もなくなっていたのもあります。自分のことは棚に上げて、義ファミリーの事も自分がなんとかしよう、しなくちゃと思っていました。

夫が発達障害かもと知った当初は「絶対そうだから診断受けてこい!自分を知ってくれー!こっちの苦しみ知ってくれー!原因はそっち!!」という気持ちが大きかったです。私怖いですね…。だから周りにも愚痴っぽい人を自分で引き寄せていた気がします。

外国だから、大人になったから、友達の選択肢も少ないし、周りも大変そうだしーと。日本人友達と一緒になって愚痴り、助けにならない助け合いをしてバタバタしていました。

よそに逃げていた部分は大きいので、まず自分!まず家族!と思えてからはスッキリしました。境界線なく仲良くなりすぎて、結局苦しくなっていました。

時々違和感があった友達関係を整理というか、少し距離を置きました。ここが思ったより大きかったです。他の雑音も聞こえなくなった気がします!そしたら夜中にリビングで携帯ではなく、昼間にテレビに映して綺麗に片付いた部屋でさくらさんの動画をみる時間が増えました。

するとほーーーんと響いてくることが多かったんです!

夫の発達障害を知れた当初と今では、同じ文章や動画をみても感じ方や考え方が違います。早く色々知りたいと、答え見つけれるかも!と携帯にぎる事も多くなってしまいがちですが、目の前にいる家族のことを忘れずに、バランスよくやっていきたいと思います。

友達と遊んだり食べに行ったりと他に逃げ道を作った事もありましたが、私は家族で歩んでいきたいです。

生理前に爆発する

生理前も酷くて、日常生活もままならない、というホルモンに悪さされる症状とも毎月闘っています。

夫は自分も変わる、と何度も宣言してくれましたし、私もいろんな手を考えやっていますが、生理前の不調で一気に細々と我慢していたことが爆発したり、耐え難い孤独に襲われます。

私はカレンダーに爆発した日をつけてみて、生理10日前後に自分が怒ったり泣いているとわかりました。

夫の言動に悪気はなく、むしろ優しさからきています。でも、優しく言おう、言わずにフォローしよう、と思ってもとても難しかったです。夫がごめんね、と言わない、思ってないことも大きかったです。

「生理前の調子が悪い時期が来るよ!ごめんけど、この時期だけは謝ってもらっていい?」と夫に乱暴なお願いしてみました(笑)

私も夫も子供も悪くない!ホルモンの仕業だったんだ!と知れて楽になる方も多いんじゃないかと思います。

私も発達障害かもしれない

私も何かしらの発達障害がある気がします。片付けが得意でなかったり、人付き合いにも悩みがちな所もあったりします。ほんと、インナーチャイルドが絡んでいます。

夫婦共に診断受けてはいないのでハッキリ分かって対処していきたい気持ちはあったのですが、さくらさんも書かれていたように病名は関係ないとも思います。今は診断結果や診断名は気になりません。

夫は優しい

私が思う「普通言わなくてもわかるでしょ?」が分かってもらえないことと、精神的繋がりが全く持てないことが本当に辛かったです。司令塔のように色々指示したくはないんです。それでは苦しいので。

自分が先回りして時間の逆算をして期限つきで分かりやすく箇条書きで渡す…疲れます。指示している気分だし、夫もさせられていると感じていると思います。

小さな子供もいるのに、自分が全て考えて言わないと色んなことがまわらない、貼り紙をあちこち貼らないと色んな事を忘れられる生活が辛いです。

子供も優しいお父さん、すぐ怒るお母さんと思っていると思います。子供4人を外国で一人で育てている気分です。

夫は、「自分はできる限りやれることをやっている!自分は間違ってないのに、ゆみこが何しても怒る、少しの失敗に対してありえないほどキレられる、怒られるのも泣かれるのも怖い。だから話し合いもできない!」と言っていました。確かに今までは私の言い方がキツかったと反省しています。自分では怒ってないつもりでも、またか!大人のくせに何度言ったらわかるんだ!と思っていたので。

それに、夫が良くも悪くも私が暴言暴力に暴走しても、私を手放さずにいてくれたことも大きいです。夫は優しいんです。私がどんなに暴言吐いても叩いても物を投げても、やり返された事もないです。それも一方通行で、寂しかった原因ですが…

必ず翌日には「おはよう」と言ってくれます。涙が出ます…

こんなに優しい夫なのに、お互い傷つけあって、それを見た子供達もたくさん傷つけてしまいました。

今は少なくなってしまったけれど、夫からはありがとうもアイラブユーもありました。出会った頃のように、夫のことを世界一優しい人だな❤︎とまた思いたいです。

日本人に向いてない

結婚生活や生きていく上で、白黒以外のグレーも必要だと、夫やカリフォルニアの暮らしから学びました。

この記事のお言葉、「日本人に向いてない」

私は「日本人に向いてない」だけ この投稿↓を読んだフォロワーさんが、海外経験を通して感じていた心のうちを共有してくれました。 https://www.alana...

まさに!アメリカに住んでいる日本人ともなかなか居心地悪いです(笑)

かりふぉーにゃの人々ののんびりさ、
かりふぉーにゃ暮らしの長い日本人の時間のルーズさ、

約束したことへのルーズさが初めはびっくりで許せなかったり、対応も上手にできなかったけれど。今では超居心地いいです。

私を救ってくれる救世主を求めていた

爆発期や鬱期の私は自分を一刻でも早く救ってくれる救世主を求めていたと思います。ぴーーーったり自分に合っていて救い出してくれるカウンセラーさん、整理術、自己啓発、友達、ブログ、YouTube…

「相手は変えれません、自分が変わりましょう」うん、どこでも言われる、読んだ、読んだ。頭では分かるけれどじゃーどうしたらいいの?誰か助けてーって。

でも誰に話しても読んでも観ても、いまいちピンとこなかったり、苦しさが伝わらなかったり、最初はすごい!と実践していっても、だんだん合わなくなっていったりしました。

なので1人の人や、一つの考え方に救いを求めるのを辞めました。

1人で頑張って1人で行動していたつもりが夫も違う時間に違う場所で違うペースで一緒のことをやっていてくれ、(さくらさんの動画を観たり他の記事も合わせて読んでみたり)同じ体験をしていたと知れました。私には見えなくても夫は夫のペースで前進してくれていたんだと今は思います。

昨日聞くとさくらさんの動画はほぼ全部観たし、漫画も読んでいる、更には何度も同じ動画も観ていると言うじゃありませんかー。泣

夫は最初、アランさん側の動画ばかりピックしていたそうです。ハッキリとは言わなかったけど、さくらさん側の気持ちの動画では、少し責められている気がしていたんだろうなと感じました。

私が責める気持ちで「さくらは!ほら、さくらも!ゆみこも同じ!」と動画を観ては送ったり言ってたせいです。観るたびに感じることが違うそうです。

今はさくらさん側の立場がやっと感じれるようになってきた、さくらさんが言ってたこと、気持ちがもっとよく分かるようになってきた、みたいな事も言っていました。もっと気もち教えて!と沢山話ができました。

一緒に!一緒に!
家族は一緒に!夫婦は一緒に!
兄弟がいた仲良く!

私は、友達や親戚の集まる素敵な幸せなおうち!って子供の頃求めていたものを欲しがりすぎていました。

同じ方向をむいて歩幅合わせて、チームワーク!にこだわりすぎていたと気づきました。家族の団欒の時間が増えて、娘には、最近ママとパパ仲良いね~って言われるようになりました。

お母さんに助けて欲しい気持ち

カウンセラーさんに「思い出せる中で1番小さな時で大泣きした時の事を話してください」と言われました。思いついたのは玄関で泣いている自分。3歳かな?

なぜ泣いていたか覚えてないけれど、お母さんに来て欲しい、助けて欲しい気持ちだったと思います。来てくれるまで粘ってたけど、来てくれなかったという記憶。

カウンセラーさんに「子供の時のお母さんとの経験が、他の人もそうだ、という思考の癖になる」と言われました。私の思考の癖、というのは「助けてー!助けてくれない。どうせ分かってくれない。諦める」みたいなことです。確かに…

私は何かあっても、まず自分が苦しいことにも気づかずに頑張っていたり、やりがいを感じてむしろ楽しいというか生きている実感がありました。体も強かったので体が悲鳴をあげるにも時間食うし(笑)

母はシングルで3人子育てで忙しかったです。兄弟は年が離れているので、喧嘩というよりは私が面倒をみたり、威張って家来のように動かしたり、虐めたり、という感じです。喧嘩して(自分の意見を言って)仲直り(和解)という経験はぼないです。小、中、高校生になっても誰かと大きな喧嘩や議論をした事がありません。

無意識に、と意識的に人に合わせて生きてました。

カウンセラーさんに「お母さんに言えなかった、助けてもらえなかった経験があるとしても、他の人は違うから助けてくれるよ。旦那さんには伝わる、助けが必要な時には助けてくれるかもよ?泣かずに怒らずに伝わる方法で伝えてみる。人に感情や意見を言ってもいい。言う時のスキルってあるのよ。練習してみましょう」と言われました。

自分が変わる!

「自分が変わる!」

カウンセリングでも本でもまず「自分」と言いますよね。本当にその通りでした。でも最初は頑なに、自分は悪くないと思っていました。

それでも少しずつせっせと情報を入れたり、できることをしていたら、夫も変わってくれた(既に変わってくれていた、努力してくれていた)ことにも気づけました。

今まで自分なりに検索して気づいたことや、辞めてしまったけれどお世話になったカウンセラーさんにも、友達にも家族にも助けてもらっての今だと思います。動画みたり文章を読んだり本当に助けられています。発信してくださってありがとうございます。