近所の小学生に「私は戦争を始めた人にカウンセリングが必要だと思うの」と言われた。心のトゲトゲを抜かないでおくと、悪いモンスターになっちゃうそうだ。
アメリカでは学校でいじめがあった場合、他人を傷つけた加害者側がカウンセリング対象になる。他人に暴力を振るったり精神的な苦痛を与えて欲求を満たす子供は、背景に複雑な家庭環境が考えられるからだ。実は何らかの被害者であるケースが多い。理解ある人による、心のサポートが必要なSOSサイン。
そのような子供には、学校と専門家が体制を整え、友達と上手に関われる社会性を身につけられるよう協力していく。親は課題と向き合い現状を改善するにあたり、まず親自身のカウンセリングが必要性なこともある。
しかし過去に、様々な要素が複雑に絡み合う難しいケースがあり、今どうしているか気がかりになる生徒がいる。
ある日、その生徒の今後について話し合うために大人達が会議室に集まった。最後にまとめられた方向性を聞き、心を強くつねられた痛みを感じた。
「この生徒が今後も、学校や社会で争いを起こし続けてしまうのはもう避けられない。この子が将来、せめて犯罪者にはならないように、私達でできる限りのサポートをしていくしかない」
せめて犯罪者にはならないように。この重い言葉は会議室の音を一瞬で無にした。大人の都合で破かれた子供の心は、予測不可能な行動を引き起こす可能性がある。私はその子が、日々の生活を安心して送れるように願うしかなかった。
ふと思い出した生徒のことを考えていると、目の前の小学生に「桜さんとアランさんはどう思いますか?」と私達の意見もしっかりと聞かれた。
私が小学生の頃は自分の意見はあっただろうか。
自分と他人の意見を分けられていただろうか。
自分の考えを言い、大人にも問いかけたことはあるだろうか。
大人の考えを聞き、ただそれを自分の考えにしていたと思う。
カウンセリングについては存在すら知らなかった。
アメリカの教育や子どもの言動から、私自身学び直すことがとても多い。


