私を苦しめていたカサンドラ症候群とは、一体なんだったのかと改めて考えてみた。
夫がアスペルガー症候群だと知れた時、救われたと思った。
私は”カサンドラ症候群”という状態だったんだ、と。
カサンドラのレッテルを、すぐに自分のおでこに貼り付けた。
長年の死にそうなほどの苦しみは、アイツのせいだったんだ。
アイツが共感できなくて、
察することができなくて、
空気が読めないからなんだっ
私はフツーで、アイツがおかしかったんだ。
ドロッとした漆黒の憎しみが滴り落ちる。
「あんたには心がないのよ!!」 何度夫に撃ち放った矢だろうか。
その矢が全て私に跳ね返り、自分で自分を傷つけていたとは知らなかった。
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夫はアスペルガー症候群。
だから私の心の苦しみは消えないんです!
カサンドラ症候群というネーミングを気に入り、私はそこから頑として動かなかった。
私の視界には「アスペルガーを改善すべき夫」だけが写っている。
そうすれば私は今度こそ幸せを掴めるから。
なんとも残虐なホラードキュメンタリーであろうか。
追い込まれた夫は、鬱になった。
発達障害による、二次障害だった。
理解されずに、極度のストレスの環境にいると発症する。
なんであんたが鬱になるのよ!
理解されないで鬱なのは私なのよ!!
なんとも元気な鬱だこと。
私の被害者意識は全身に根を張っていた。
そして自分の問題を全力で隠していた。
そうすれば、自分の弱さに向き合わなくて済むからね。
そうすれば、うまくいかない理由を相手のせいにできるからね。
剥がれないようにカサンドラのレッテルをぎゅっと押し付けた。
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「僕達は、離婚したほうが、いいと思う」 ある日夫が重く言い放った。
私は自分が離婚の主導権を握っていると思っていたので、一気に心を引き裂かれた。
一種のプライドだと思う。
引き裂かれた心に隠れていた中身の一部が顔を出した。
その歴史は深いらしく、年月をかけて築かれてきた私の人物層が見えた。
持って生まれた性格の周りに、影響を受けた様々な人達に踏み固められた人格の層が連なる。
自分で影響を受ける選択をしていたらしい。
完璧主義で攻撃さも弱さもエゴも見え隠れする。
優しさも見えるがお節介に近い。
勝手に世話をしといて見返りを求めている。
孤独が嫌いなのに、孤独を自ら選んでいる。
いつも何かに我慢して自分を抑えている。
だからとっても寂しそう。
愛情を求めているみたい。
「いつからなの?」そう聞いた相手はまだ幼かった。
これが、「私の」カサンドラ症候群の原因だった。
原因は、私の心の中にあった。
夫にもあったけれど、私の心の中もあった。
私達の心の中の奥底は、似ていた。
何かが割れていて、破片が飛び散ったままだった。
夫婦のどちらかに問題があれば、もう片方にも問題があるものだと思う。
自分の問題を解決する前に出会い惹かれ合う相手は、
悪い意味で言うと、相手にも解決していない問題があると思う。
良い意味で言うと、衝突があるだろうから学び合い成長できると思う。
人は自分と似たような人と一緒になり、
パートナーシップを組むのだから。
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しかし、カサンドラというレッテルを貼り鎖で守っている限り、その原因にまた施錠することができる。
自分の改善すべき課題から目を背けることができる。
その方が楽だから。
だって私の夫はアスペルガーだから。
そっちの方が酷いんじゃないの?
アスペルガーというレッテルも相手のおでこに貼っておく。
私はいつも、なにか言い訳を絞り出しては自分以外の人間を修正したくなる。
人の問題をよいしょよいしょと背負っては、解決しようと自ら荒波に飛び込む。
そして溺れる。
沈みそうになるのを誰も助けてくれないと、浅瀬からギャーギャー叫んでいる。
そのエネルギーを、自分自身に使わないの?
私はもう、自分のズルさを見て見ぬ振りはできなかった。
自分にしっかりと向き合おうと決心した。
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SNSを始めたばかりの頃、頻繁に聞かれる質問があった。
「結婚前に旦那さんがアスペルガーだと知れていたら、結婚していましたか?」
当初はそういう質問にマジメに答えていたけれど、
ちょっとね、後悔をしているんだ。
ごめん、そういう方向じゃないんだ。
彼がアスペルガーでもそうでなくても、
彼が日本人でも外国人でも、
彼がどんなに世間が決めた理想の結婚相手の条件を満たしていても、
幸せになれない人はなれない、幸せになれる人はなれる。
まずは自分の心の状態が整っていないと、
誰と結婚しても結果は同じになる。
パートナーシップにおいて、
諦める. 我慢する. 許す. 寛大さだとかも、
もっと違うと私は感じている。
幸せって相手次第ではなくて、自分次第だと思うんだ。
相手がどういう人間かではなくて、自分はどういう人間かだと思うよ。
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「カサンドラとはアスペルガーを触媒にしたアダルトチルドレンの二次障害、ですかね」
仲良しのフォロワーさんにポッと言われた。
「私を」苦しめていたカサンドラの正体をどんぴしゃに表現していて、つい彼女の語彙力を褒めた。
私は「カサンドラ症候群とは自分自身が作り出していた状態」だと思っている。
悪化させていた、と言った方が正しいかな。
夫にも性格上改善点があったからね。
どっちもどっち。
似た物同士。
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物事の捉え方は人それぞれ違う。
ある言葉を放って、みんなが同じ意味で捉えることはあり得ない。
ある意味、その時の感じ方でその人の現在の心の状態が分かる。
現在といっても、深く根を張ってきたものであろう。
だからこそ、それぞれが自分自身に向き合うことが大切だと思っている。
そして自分の答えを自分で見つけていく。
自分らしい幸せのカタチを自分で見つけていく。
自分が求めていた理想の家庭像とは違うカタチかもしれない。
でもそのカタチこそが、探し求めていた自分だけのオリジナル。
理想の型から外された時に、やっと現れた自分のための答え。
私はカサンドラを知れて救われた。
同時に、被害者意識が強くなり苦しめられた。
アスペルガーとかカサンドラとか、その他諸々のレッテルは、
剥がした方がいいと思った。
だからこれからも、
夫のアスペルガーのアレコレに着目して語るのではなく、
自分の心の捉え方に着目していきたい。