日本の教育と心の健康

日本のいじめ対策は間違っている

北海道 旭川市立永山中学校 2年
紙谷 桃歌(かみや ももか)

今,日本の学校や様々な所で問題となっている「いじめ」。日本は,いじめを防止するために様々な対策を実施しています。

例えば,学校側はカウンセラーの協力を得ながらいじめを受けた生徒を継続的に支援する,いじめを行った生徒には別の教室で授業を受けさせる,道徳教育の充実,などのものです。しかし,これらは本当にいじめ防止の根本的解決につながっているのでしょうか。

そもそも日本のいじめの一番の問題点は,長期間にわたって続き,陰湿化しやすい点だと思います。私は小学校五年生の頃までドイツに住んでいて,ドイツで起きていたいじめも目の当たりにしましたが,日本とは違って,暴力的な代わりに少しも長続きせず,ほとんどが一日で終わってしまうものばかりでした。

では,なぜ日本のいじめは長期化しやすいのでしょうか。

それには,二つの原因があると思います。一つ目は,日本の根本的ないじめのあり方にあります。例えば,ドイツで「いじめ」といったら,大抵校庭などのひらけた場所で下級生など自分より弱そうな相手や,気に食わない相手に暴力を加えることを指します。この種のいじめは暴力的で,比較的目に付きやすいので,すぐに先生の指導が入り,長続きすることはほとんどありません。

一方日本で「いじめ」といったら,暴力よりもどちらかといえば嫌がらせや集団無視などの精神的苦痛を与える行為を指します。このやり方だと,表面上は何もなさそうに見えるので,周りからは気付かれにくく,結果,先生方など学校側の対処も遅れてしまいいじめが長続きしやすくなってしまいます。

二つ目は,周りの見ている人達の反応です。私も一,二度,ドイツで上級生にいじめられたことがあったのですが,どの時も必ずそばにいた同級生や知り合いが味方になってくれて,協力していじめっ子を追い返していました。私の経験に限らず,いじめを見たら必ず周りの人達が止めに入ったり先生を呼んだりなどしていました。

しかし,私が通っていた日本の学校で一度いじめが起きた時,気の毒に思いながらも誰も助けようとはせず,むしろどこか逆らってはいけないような雰囲気が漂っていました。

つまり,いじめのストッパーとなるものがなく,どんどんエスカレートしていって,長期化してしまうのです。ではどうすれば,「いじめのストッパー」になれるのか。これは私個人の考えですが,「いじめのストッパー」になるには必要不可欠な三つの要素があると思います。

一つ目は,正しい善悪の判断ができること。

二つ目は,自分の意見を持つこと。

そして三つ目は,他人の意見を尊重すること。

日本人はこの三つの中の一つ目と三つ目はとても良くできていると思うのですが,二つ目の「自分の意見を持つ」に関しては意識できていない人が多い気がします。

日本人は周りに合わせることを良しとするので,協調性にとても優れているのですが,いじめの場合,この特徴は悪い方向に行きがちです。いじめは大抵一人対大勢なので,周りの人達は自然と人数の多いいじめる側についてしまうのです。こういう場合には,自分の意見を持ち,周りに流されずきちんと主張することが重要になります。私はこれこそが今の日本人が「いじめのストッパー」になるために最も必要なことだと思います。

私が通っていたドイツの学校では,クラスの誰もが最近起きた問題・もめごとを書き込めるノートがあり,毎週金曜日の最後の授業で行われる学級会議でそれを開き,書かれている内容の一つ一つを全員で話し合いながら解決していく,という活動がありました。

日本でも,こういった活動を取り入れてみてはどうでしょう。一つの問題に対して真剣にそれぞれの意見を交流し,全員で良い方向に進めようとする。このような場をつくることで正しい善悪の判断,自分の意見を持つ,他人の意見を尊重するという能力を養うことができると思います。

今の日本のいじめ防止対策は,いじめを受けた人の救済を重視していますが,いじめを外野から見ていた周りの人たちには,あまり目を向けていない気がします。これでは,いじめを根本的に撲滅することにはつながりません。

もっと生徒に自分の意見を持ち,主張させる機会を増やし,基本的人権について自分なりの意見を持たせるべきです。それが,私達が将来自分達の基本的人権を守っていくための力になると思います。