アメリカでの学び

母を思い出し複雑な気持ちになった出来事

今朝、スーパーの買い物代行サービスで頼んでいた食材が届いた。玄関をノックされたので開けたらびっくり。そこには70歳くらいのアジア人女性が立っていた。

とっさに重い荷物運びを手伝った。話しかけるとあたたかい笑顔と穏やかな口調、優しい人柄に、つい私の母を思い出し複雑な気持ちになってしまった。こんな言い方も勝手な想像もあれだけど、どうして働いているんだろう?と悲しくなったから。

どこから来たのかを聞くと、ある地域の名前を言われた。そこは治安が悪い所で(つまり低所得者が多く住む地域)、私は行かないようにしている場所。チップは事前にHPから払ってあったが、部屋に戻ってお金を用意し、追加のチップとして渡した。アメリカは現在、ガソリンの値上げが大変なことになっているし。

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こんな状況に出会ったのは初めてではない。数年前、初めてUber Eatsを頼んだ時もそうだった。レストランから配達されるなんて便利!とワクワクして到着を待っていたが、ドライバーとして玄関に現れたのはなんと、赤ちゃんを抱っこした若い女性だった。これは心底ショックだった。動揺してしまった。移民らしく英語もあまり通じなかった。

でも私が勝手にその女性の感情を想像するのも違うのかもしれない。以前、母国の発展途上国では仕事がなくて生きていくことも困難な友人が、アメリカに来て仕事にありつける幸せを話していたから。

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便利なサービスができると、アメリカでは利用する側と提供する側の格差が浮き彫りになる。貧困層がやる傾向の仕事というのは存在することから、勝手な心配をしてしまう偏った自分の見方にも気づいてしまう。高齢者も若い女性も、ただ自分のペースで出来るドライバーの仕事を選んでいるのかもしれないのに。

でも、いつも心配してしまうわけではない。抜け穴だらけのアメリカで「貧困層が全員、貧困とは限らない」ことも目の当たりにしてきたから。現金で稼げば国に報告しなくても済むから、稼ぎがないふりをして国からお金の援助を受ける人がいる。又は仕事がないふりをして働かず国からの援助を選ぶ人がいる。

「貧困を選んでいる層」が分厚いと言われているアメリカ。世代を超えて連鎖している場合も多いことから、特定の人種に貧困層が集中する原因になっている。援助をし続けることは解決にならない。だからお金をせがまれたり、感情的にお金を渡したい気持ちがあっても、状況判断して辞めてしまうことも多い。

宅配サービスは誰かの仕事に繋がるのなら、私はもっと利用した方がいいと思いつつ、どんな人が配達に来るのか気になってしまうクセがついてしまった。