自己紹介/Our Introduction

アカウントの主旨

このアカウントでは、大人の発達障害の特性だけに注目するのではなく、価値観や人格が作られた生育歴を振り返り、自分自身に向き合う大切さを軸に運営しています。

  • 生育歴から自分を知る
  • 育った家庭環境=築いた夫婦関係
  • 親との関係から夫婦問題の根っこを突き止める
  • 学校教育指導アップデートの必要性
  • それぞれが自分らしくいられる家族のカタチ

自己紹介

アメリカ在住の夫婦です。

結婚して5年目のある日、夫が「アスペルガー症候群」と診断されました。夫婦関係がうまくいかない原因があったんだ!と二人でホッとしたのもつかの間、それからが大変でした。 いろいろありましたが、カウンセリングを通して「パートナーシップがうまく築けない原因は’ふたり’にあった」ことに気づかされました。それぞれが自分自身の課題に向き合うことで、2年半ほどかけて関係が安定してきました。 現在は家族幸せに暮らしています。

カサンドラ症候群とは?

アメリカで「カサンドラ症候群」という言葉は知られていない。
発達障害と繋げることもされていない。
カサンドラという名前が広まっているのは世界でも日本のみ。

しかも大昔のギリシャ神話を軸として、現代の心理学や個々の生育歴が抜けている日本版に変えられたカサンドラの概念だと、幼少期に親との愛着がうまく形成されなかった人に深く大きく響き続けてしまう。自分の気持ちを分かってほしい、自分が言わなくても察してほしい、自分が望む反応をしてほしい、など。それらが満たされないと大きな悲しみや孤独を感じたり、不満を抱えたり、ヒステリーを起こしてしまう。

日本は人それぞれの考え方や感じ方や学び方の違いまでもが「障害」となり、パートナーと出会う前から抱えているであろう心の病やトラウマの症状までもが全部ひっくるめて「カサンドラ」となっている。

個々の違いを統一する教育とメンタルヘルスへの理解が乏しい社会が合わさった結果、日本版アスペルガーとカサンドラが生み出され、いつの間にかペアで扱われるようになってしまった。発達障害の人に一方的に非があり、パートナーは苦を背負う被害者のような内容に偏っているのも、カップルや夫婦関係に更なる破綻を招いているのではないか。

事実、パートナーのひどい言動に深く傷ついている人はいると思う。でもそこまで人の心をズタズタにし続けるひどい人だったら、発達障害の特性ではない。先天的な特性ではなく心の成長の段階で身についたこと。

そして夫婦2人、出会った時から一緒に築いてきた関係性。発達障害の特性と切り離して、「ふたり」の特性と全体を視野に入れてのケアが必要。

親目線で子供の教育を考えた時の違和感

私自身、カサンドラ症候群について日本語で書かれている書籍やメディアに混乱させられた過去を持つ。学べば学ぶほど、信じれば信じるほど、心の健康と夫婦関係が悪化していった。

夫婦2人のことなのに、パートナーの現在の特性のみ、事細かく焦点が当てられているのはおかしいと疑問を持ち始めた。なぜその言動までもが「障害」になってしまうのか、なぜ他人との違いを不満や苦しみばかりで表現するのか、共感できない例がたくさんあった。

特に疑問を抱いたのが、親目線で子供の教育を考えた時。社会が発達障害の大人を批判する方向なら、発達障害の子供はどうなるのか。自分の子供が発達障害だったら、生まれつきの特性を否定し続ける躾をするはずがないし、クラスに発達障害の子がいたら、自分の子供にその子を嫌な目で見させてしまう知識を教えるはずがない。父親の発達障害についても、母親として子供に父親のことを悪く吹き込みたくない。あたたかな夫婦関係を築き直し、その姿を子供に見せていきたい。

しかし後に、日本の療育は発達障害の子を発達障害ではない子に近づけるのが目的の現場が中心であることを知った。子供の苦手なことに集中して克服させようとしたり、こう質問が来たらこう答えるなどの決まった言い回し(正解)を暗記させたり、そのような療育を受けさせて後悔している親御さん達がたくさんいた。

それは療育だけでなく、日本の教育全体の課題。自分の意見や思いを大切にして、周囲の大人からも大切にされる。好きなことを自分で見つけて、自分でそれを学びたい意欲を持たせる。自分のことを理解して、自分で決めていくことで、自分で生きる力をつけさせる。自分で選んだ道を正解にしていく。周囲の大人は何が出来るかを考えると、環境を与えてあげること。

日本の「こうあるべき」や「ふつう」のあり方に疑問

アメリカでは発達障害は障害とは呼ばれていなくて「学び方が違う子」と認識されている。学び方やペースが違う。考え方や感じ方が違う。それって障害ではなく人それぞれの違い。困っていて助けが必要な部分の障害とは別。日本はこれらを全部ひっくるめて障害にしていると感じることがある。

発達障害が鏡になってうつし出す学校や社会の問題点がたくさんある。「こうあるべき」や「ふつう」のあり方。それらは本人の障害ではなくて、学校や社会が持つ障害。本人の問題ではない。

常識やルールあふれる日本社会、察し合おうとする日本文化、男女格差の問題、育った家庭環境で育まれた心、教育で養った思考や行動パターン、それらもあらゆる人間関係に影響を及ぼしている。それらがすっぽり抜けているメディアや書籍で自己診断をすると、いとも簡単にアスペルガーっぽい特性やカサンドラっぽい状態に当てはまる。

発達障害やメンタルヘルスについて正しく学び始めたのは、英語のものにシフトしてから。そしてカウンセリンング。自分の心に取り込む内容を選ぶことは、自分を大切にすること。

自分の生育歴を無視して現在の自分は知れない。
自分を理解しないと相手のことも理解できない。

日本の教育と心理分野が改善されていきますように。

パートナー選びは生育歴が関係している

1年間のカウンセリングを通して、夫がアスペルガーだったから感情が掻き乱されたり、心が満たされなかったのではないと気づかされていった。

– 私のもともとの性格
– 結婚前から抱えていた心の問題
– 日本人という普通や常識に縛られた国民性

この3つが悪い方向へ重なり合ったのと、日本の「相手がアスペルガーであればカサンドラになる」という誤った情報に惑わされ、私の心が自らカサンドラ症候群っぽい現状を生み出していた。夫にも性格上改善点があったから ‘悪化させていた’と言った方が近いだろう。

夫婦のどちらかに問題があれば、もう片方にも問題がある。合わさるペアがいるから不健康な関係が成り立つ。自分の問題を解決する前に出会い惹かれ合う相手は、悪い意味で言うと、相手にも解決していない問題がある。良い意味で言うと、衝突があるだろうから学び合い成長できる。人は自分と似た人と一緒になりパートナーシップを組むのだから。

私達は結婚前から解決していない課題がふたりの心にあった為、結婚後のパートナーシップがうまく築けなかった。問題が生じたら話し合いをして、解決を見出したり折り合いをつけていけるようなコミュニケーションが出来ていなかった。

だから夫がアスペルガーでもそうでなくても、仮に違う人と結婚していても、夫婦間の揉め事は誰とでも起こっていたと思う。私が自分の心の課題にずっと気づかない私のままなら。これは夫にも言えること。

夫がたまたまアスペルガーだったから自分の陥った状態をカサンドラと呼んだけれど、アスペルガーではない違う人とうまくいっていなかったら「価値観の違い」とでも呼んだのかな。

それで済ませていたら、ここまで自分と向き合うこともしなかっただろうから、夫は自分の改善と成長の為に巡り会えた人だと思う。これは夫にも言えること。

いろんなことが見えてきて、理解できて、納得したら、もうそれらのレッテルに縛られない方がいいと感じていった。自分で無意識に作り出してきたものだから、意識して自分の力で少しずつ消していける。

これからも自分に向き合い、思いやりの気持ちを持ち合い、夫婦一緒に歩んでいきたい。

カサンドラのレッテルを剥がす時 私を苦しめていたカサンドラ症候群とは、一体なんだったのかと改めて考えてみた。夫がアスペルガー症候群だと知れた時、救われたと思った。私は...

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