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だれだって自分は普通だと思っている「それぞれのものさし」小学生の作文

発達障害の妹がいる小学生の作文。

読売新聞 第69回全国小・中学校作文コンクール 文部科学大臣賞 より引用。

私は一度妹に「そんな事もできないの」と言ってしまった。

母にものすごくしかられた。

「待ってあげる事は手を差し伸べているのと同じ。自分の物差しで人を見るな!」

だれだって(自分は)普通だと思っている。

でも普通には基準がない。

自分が出来るから相手も出来るわけではない。

それが母の言う「自分の物差しで人を見てはいけない」という事だ。

「人と違うことを受け入れる心を養うためにも、教育という存在がいかに重要か。人それぞれのものさし、障害の有無に関係なく、人と違うものを受け入れる「心」のあり方がいかに大切か、考えさせられます」という素晴らしいコメントと一緒に、この記事を教えてくださった学生のフォロワーさん。ありがとうございます。

今の私はこの小学生の考え方に共感はできるが、このような考えを小学生からは持ててはいない。当たり前のようで、難しい心のあり方。

普通には基準があったから、そんな事もできないの?と自分が思われたり、相手に思ったりしながら育ってきたと思う。自分の物差しで人を見てはいけないよ、と教えてくれる大人はいなかった。

育った家庭環境、両親から身についた振る舞いや言葉遣い、学校の先生から教わったこと、関わってきた友達。周りの人間や置かれていた環境から、自分という人間が形成される。

物事をどんな風に捉え、どのように思うか、考えるか、そしてどんな言葉を選び伝えるか、「心のあり方」は子供時代から長い時間をかけて形になっていく。

大人になってから自分の「心のあり方」は学べるけれど、どちらかというと「心のあり方を改善する」になる。そしてなかなか改善されずに苦労する場合もある。

私が今大人になってから苦労しているので、自分達の子供にはしっかりと「自分の物差しで人を見てはいけない」を教えてあげたい。