皆さんの体験談

好きなことを見つけた子が発達障害の場合、その子育ては他人からすると「キレイごと」?

絵が得意な発達障害の子の記事を読んでいた時のこと。親御さんがどのように個性を育ててきたかを知ったり、絵を描いている時のその子の笑顔の写真を見てあたたかな気持ちになっていた。

大荒れのコメント欄を見てしまうまでは…

そこには同じ発達障害の子を育てる親御さん達からの否定的なコメントがズラリと並んでいた。そんなのキレイごと、現実はありえない、自慢、うちはもっと辛い、発達障害とは言えない、この家が恵まれてるだけ、などなど。他人の子と比べて我が子が自分の思い通りにいかない劣等感や嫉妬から八つ当たりのターゲットにされていた。ご家族やお子さんがコメントを読んだ時に深く傷ついてしまう心が見えて悲しかった。

自分にしかわからないような苦労に立ち向かって頑張ってきたであろう子育てと家族の人生を「キレイごと」と一言、否定を言い放ってしまう他人が大勢いて、そこに何千ものイイねがつく日本のネット社会に恐怖を感じた。

確かにその記事は辛かったことには触れてはいなくて全体的にポジティブな内容だったが、書かれていなかっただけだと察した。親御さんは辛くて全部投げ出したくなった時もあったはず。他人には見せていない自分の姿って山ほどあると思う。わざわざ言う必要がないから。ライターさんも現在の様子に集中して取材したかったのだろうし、親御さんも自分の子供が読むであろう記事に母親の苦労話ばかり書きたくないだろう。全部言わなくても状況を察するのが得意な日本人なのだから、辛いことはあったけれど書かれていない理由は察してあげるのも優しさなのではないかな。

他人が何を成し遂げて喜びを感じたり、やっと夢を叶えて嬉しさを感じた時、その喜びや嬉しさを素直に受け入れて分かち合ってあげるか、自然に劣等感や嫉妬を抱き嫌悪感を出してしまうかは、子供の頃に身近な大人にどう育てられてきたかによる。日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあり、才能が頭角をあらわす者は他人から憎まれたり非難されることがある。「みんなが同じであるべき」という教育や、家庭で育まれたそれぞれの心が関係している。他人と比べて否定的な言葉を言われながら育てば、他人と比べて否定的な言葉を自分が言うようになる。

発達障害の違いはあれど、情報を共有しあったり悩みを相談しあったりできるかもしれない人を、なぜ敵対視して行動に移してしまうのか。子育てに限らず、そういう思考が人生のあらゆる面で孤独と辛さを招いているのであろう。

日本の発達障害の記事は、社会に馴染むことが困難な話が中心。それはリアルな現実の一部だと思うけれど、そこに明るい記事が全くない方が問題だと思う。そして明るい記事が出た時に、出る杭は打たれる並に叩かれまくってしまうことも怖い。発達障害だから社会に馴染めないのではなく、このような日本社会が困難を作っている。

ネットこそ現代ツール。使うなら自分のために役立てたい。いろんな家族の例が記事で紹介されて、いろんな家族の生き方の形があっていいんだよという優しい空間になりますように。私はまず自分からそんな空間を作っていきたい。