皆さんの体験談

夫への怒りの正体は母親への怒りの感情だった。そして娘は私への怒りの感情を持っている / はるみさん編

「自分の意志で生きることの大切さ」を知り、やっと出口の面影が見えた。キッカケは、高校を卒業した娘が引きこもりになったこと。

ある日、娘が絞り出すように言った。「やりたいこともない、就職したい道もない。ずっと学校が嫌で嫌で、でも我慢して通っていた。もう我慢することだけはしたくない。でも何をしたらいいのか分からない。私には生きてる価値がない」そして泣き崩れた。

娘がここまで学校で悩んでいるとは知らず動揺した。娘が通っていた学校は私立で、厳しいと有名だった。「厳しい」という言葉に、親の私が安心している気持ちがあった。勉強を頑張ってグレずに育ってほしい。「厳しい」という指導の裏に、子供の気持ちや個性が…人格までも潰されていることには気づけなかった。

「一人で悩んでいないで、どうしてもっと早くお母さんに話してくれなかったの?どうしてこんなになるまで我慢してたの?」

私のその言葉が娘のスイッチを入れてしまった。

「お母さんには一番相談できないよ!自分こそ相談相手いるの?お父さんとの生活にずっと耐えているのは自分でしょ!!」

悲しみも寂しさも怒りと憎しみに変わる

2年前に私はTwitterを始めた。こんなにも夫に不満を抱えた同じ気持ちの人がいたんだと救われたと思っていた。カサンドラという言葉も知れて救われたと思っていた。夫と衝突するたびに日々の愚痴を綴ってきた。いいねや共感コメントがつくといい気持ちなって止められずに、他人からの同情に依存するようになった。次第に愚痴に乗っかってくれる人は味方で、分かってくれない人は敵と差別する極端な考え方になっていった。

私がそうだから、私と関わってしまう人たちは共通して、悲しい気持ちを悲しいと言えず、寂しい気持ちを寂しいと言えず、悲しみも寂しさも怒りと憎しみに変わる気質を持っていた。子供の頃に親にちゃんと悲しい気持ちと寂しい気持ちを包み込んでもらえなかったからだと思う。ちゃんと愛されなかったのだと思う。

自分は惨めな存在だという自己肯定感の低さから被害者意識が大きく、傷ついている自分に気づいてもらいたいから声が大きくなって言葉も荒くなってしまう。自分の気持ちを素直に伝えられない不器用さが孤独を深めていく。自分の意志で行動して環境を変えていくことができないのは、自信がないのではなくてそもそも思いつかない。

味方の方達とやり取りをするといい気持ちになるのに、いつも後からむなしい気持ちにもなっていた。夫の悪口を言いながら子育てをする母にだけはなりたくなかったから。私が両親にされて嫌だったことだから。なのに両親のようになってしまっていた。結局は両親のような人と関わっていた。人を否定して快楽を得ようとしていた私こそ「普通」ではなかった。そこに自覚が持てなくなるTwitterは怖い。本当の意味で、自分に向き合えなくなる。

結婚は忍耐だから。みんな我慢しているのが普通だから。世間には昔からそんな言葉があるけれど、誰が言い出したのだろう。どうして広まってしまったのだろう。なぜ温かな家庭を築きたいと素直に言えずに恥ずかしさを感じるのだろう。

「夫には何言っても無駄。自分で言わない選択してるから」と思い込んでいて、本当は夫の反応が怖くて言えなかった。夫だけではなく、昔からどんな人に対しても私はそうだった。「子供が自立したら即離婚しますw」画面の中では強い人間になれるのが好きだった。

でも娘にはそう映っていなかった。そこでバランスが取れて、家庭では「お母さん」をやれていると思っていた。「お父さんには何も言えないお母さん」そう映っていた。娘の言葉に核心をつかれて傷ついた私は、どれだけ娘を傷つけていたのだろうか。本当は離婚なんてしたくない。家族と家庭を築きたい。

子供は家庭の中に張り巡らされた緊張の糸を感じ取っている。それに気づいていないふりをしているだけ。私もそうだった。それに気づいていなかった母親の私。私の母親もそうだった。もう今度こそ心の傷から目を背けてはいけないと決心した。

学校がおかしいと思うことがおかしかった

さくらさんの記事を見つけてから、泣きながら通っていた自分の学生時代を思い出した。

小学校の時、私が左利きだと知った担任の先生が「お行儀が悪い」と、右手で鉛筆を持つことしか許してくれなかった。下手な字しか書けず、みんなに笑われるのが嫌だった。

中学校の時、音楽が好きなことから吹奏楽部に入った。音を3回間違えると顧問のビンタが飛び、罰として校庭を3周させられた。楽しいより怖かった。顧問を怒らせないように怒らせないように、顔色を伺っていた。部内はいつも叱責が飛んで生徒は怯えていたのに、毎年のように全国大会に出る実績を持っていたために顧問は評価されていた。

高校生の時、母親に「学校に行きたくない」と言ったことがあった。「バカ言ってんじゃないよ。学校行くのは当たり前なんだからワガママ言わないでさっさと行きなさい」とあしらわれた。理由も聞いてくれなかった。あの時代の学校は、おかしいことが当たり前で、おかしいと思うことがおかしかった。この頃から摂食障害に苦しんだ。

私が感じていた教育の「闇」を、自分が親になって、自分の子供が病んでからやっと知り始めた。

ありのままの私を受け入れられていない

「カサンドラの根本的な原因」を別の観点からみた記事は、心を素手で鷲掴みされたような衝撃だった。今までただネットに書かれていることを疑いもせず、自分のことを知ろうとしなさすぎた。私は大丈夫と思っていた。ありのままの私を私自身が受け入れられていないからこその「私が作り出す苦しみ」が見えてきた。

夫への怒りの正体は、母親への怒りの感情だった。
どうして私をわかってくれないの?
どうしてそんなこと言うの?
どうしてこうしてくれないの?
どうしてみんなのような普通のママじゃないの?

もう何も言ってもわかってくれない。言っても無駄。

そして娘は私への怒りの感情を持っている。この連鎖を断ち切らないと、それは他の人にも向けられてしまう。

いつから今の自分になったんだろう

私は、自分の気持ちを表すのが苦手だ。嫌われるのが怖い。夫本人には直接言えない。怒らせてしまうのが怖い。匿名でしか自分の気持ちを言えない。こんな自分が嫌い。いつから今の自分になったんだろう。こんなに自分の気持ちを押し込める自分。

私の現在抱えている夫婦関係の悩み、ではなくて私の心の病は、型に押し込める日本教育の影響でもあり、衣食住は整っていたけれど、私が一番欲しかった愛情が欠けていた家庭で育った影響でもあり、夫のインナーチャイルドの影響でもあり、お互いの生育歴で作られていった人格の影響でもあるかもしれない。

そして結局は、夫に対して自分自身を映し出していた。自分の面が好きになれないから、同じ面を持つ夫を変えようとしたくなる。怒りの感情を解いていったら、私にも発達障害の傾向があると気づいていった。「パートナーが発達障害かもと思ったら」の記事を読んで納得。もう逃げるのをやめてありのままの自分を受け止めてあげるようにしたら、痛みが和らいでいった。

自分で自分を孤独にしないで

今の私が言うのも説得力が全くないが、娘には、辛いことがあったら悩みが小さいうちに周りに相談できる人になって欲しい。人を信じて頼って欲しい。私のように画面上でしか自分の気持ちを吐き出せなくなるまでに、自分で自分を孤独にするようにはなって欲しくない。不満を言いながらその場に留まることはしないで、苦しい場所からは自分のために早めに離れてもいい。まず、母親の私がそういう姿を見せていって、娘からも頼れる人でありたい。

自分の意志で生きること

いろんなことが見えてきて、どこから手をつけていいのか混乱する。まずは、娘が生きやすい環境を作っていきたい。娘との信頼関係を築き直していきたい。夫とも今後の関係を話し合っていきたい。そう思うのは、愛しているからなんだろうな…

20年以上も角々しい夫婦関係だったことを考えると、すぐには改善とはいかないだろう。でも諦めたくない。自分と向き合うためにカウンセリングも頼ろうと思う。

「自分の意志で生きること」を放棄していた自分だけは、もう無視したくない。