アメリカでの学び

知ってる猫と知らない女性

私達が住むサンフランシスコのマンションのそばには、低所得者向け住宅がある。そこから会社に行く途中にいるホームレスや薬物依存症の人々から攻撃的な態度を取られ、子どもを連れ悲しい顔をした人からお金をせがまれる。 

社会は生活支援が必要な人を救う制度が整っていてほしいと願う一方で、残念だがそのような人達を安易に信じて援助してはけないことも学んできた。貧しさを装う貧困ビジネスを仕事にしていたり、権利を社会に訴えるだけで自分では状況を改善する意思がないことから、国や道ゆく人からお金の援助を受け続ける人々で溢れる現実を目の当たりにしてきたから。

このマンションに住み始めた当初、様々な問題があった。宅配便の盗難、車窓ガラスが割られる、ゴミ置き場の放火、玄関に人糞。すべてが低所得者向け住宅の人達やホームレスの犯行だった。

ここはIT企業で働く人が多く住んでいたので、その職業をよく思わない人達からの嫌がらせだった。安全な地域のセキュリティがしっかりしたマンションを選んでいるのに、家族が安全に暮らせないと地域の問題になっていた。 

そんな中、私は低所得者向け住宅に住む女性と毎朝会話するようになった。私が犬の散歩をする時間帯にその女性も猫と散歩していて、犬と猫が仲良くなったのが始まり。猫おばさんは低所得者向け住宅に住む一部の人達の悪行を謝罪してきた。

続けて「あなたのようなITの人達が経済を成長させてくれるおかげで、私も含めて沢山の人に仕事ができて助かっているのよ。ありがとう」と礼を言われた。元ホームレスでアルコール依存症だったそうだが、国からの衣食住と医療の援助のおかげで乗り越えられ、現在も生活支援があることに感謝していた。私の職業はITではないけれど、夫にこんなことがあったよと伝えた。 

サンフランシスコはホームレスや依存症の人々を居座らせてしまう環境なので、他州からそのような人々が集まってくる。居場所があり居心地がいい分、状況を改善したい気持ちがある人には誘惑が大きい。自分次第でどちらにも転がることができる。だから猫おばさんには、自分を変えたいという強い意志と想像を絶する努力があったと感じ取った。

アメリカの貧困層は世界でも裕福なため、その暮らしを求めて他国からやってくる人も多い。生活支援を受ける家族に、仕事で関わったことがある。国から生活や医療サポートがあること、仕事があること、子ども達は学校に通えることが幸せだと言っていた。でもアメリカの標準に当てはめると所得が低いから、教育格差や医療格差に関しても低い位置にいる。貧困層に当てはまる。でもその家族はそう思っていなくて、母国にいた時よりも豊かな暮らしに感謝していた。

アメリカの貧困や格差問題は、どんな基準で何をどこまで埋めようとしているのか、埋めれば心は埋まるのか、考えるようになった。格差社会の物差しが年収だけに向けられているとしたら、経済的豊かさは幸福に繋がるとは限らない。何かを基準に誰かと比較して自分の位置をどう思うかは、個人の見方や受け取り方の違いが大きく、それらが生き方の違いに繋がっていると感じた。メディアは社会に対して不満の声を拾う傾向があるから影響を受けていたけれど、同じ支援を受けても感謝している人はいると知れた。

自分より得られるものが少ない人に哀れみの眼差しを向け、他人の感情を決めつけてしまう方が心が貧しいと思った。

私は社会に所得格差があるのは避けられないし、むしろ必要だと思う。格差を小さくしようとすると経済が低迷する。生活水準を上に引っ張る層がいなくなり、給料格差(男女間のことではない)が小さいと働く人の意欲もなくなり、企業の発展もなくなり、よって人々の生活が平等に貧しくなっていく。

人でもどんな事でも平等に同じにしようとすると突き出た良い面が見えなくなる。他人と自分が同じであることが前提だと、思考や行動や生き方までも制限をかけあう。日本はその道を歩んできてしまったと思う。

いつからか猫おばさんを見かけなくなり、私達も引っ越して部屋を貸していた時期があったため、何年も会うことはなかった。しかし先日の仕事帰り、マンション近くの橋の下を歩いていた時のこと。歩道のど真ん中に張られたホームレスのテントを早歩きで避けようとしたら、知ってる猫と知らない女性がいた。猫がいなかったら気づけなかった程、女性の顔はひどく変わっていた。近くには注射器が何本か転がっていて、薬物の影響だと勘付いた。

知ってる人がホームレスになっているのを見たのは、ショックが大きすぎた。 勇気を出して話しかけると、ろれつが回っていなくて聞き取れなかった。悲しかった。空き缶を出され、ここに金を入れろという仕草をされた。あげなかった。その場を去り、近くの店でキャットフードとサンドイッチを買った。

外は暗くなり一人でテントへ戻るのは怖いので、夫を呼び一緒に向かった。テントは閉まっていたから、テントの前に買った物を置いた。

入り口に「This is my happy place」という段ボールに書かれたサインがぶら下がっていた。

幸せ、と思っていいのかな。

哀れみの眼差しを向け、他人の感情を決めつけてしまった私の心は貧しいのだろうか。